文化財・史跡

重要文化財(建築物)四階楼  付 幣串 (平成17年12月27日指定)
県指定有形文化財(建築物)旧上関番所 (平成12年3月31日指定)
県指定天然記念物常満寺の大イチョウ (昭和41年6月10日指定)
県指定天然記念物祝島のケグワ (昭和41年6月10日指定)
県指定天然記念物八島与崎のカシワ・ビャクシン群落 (平成15年4月4日指定)
県指定無形民俗文化財祝島の神舞神事 (昭和51年11月24日指定)
町指定史跡五卿の宿 肥後屋跡 (昭和49年12月26日指定)
町指定史跡上関御茶屋跡 (昭和52年9月13日指定)
町指定史跡上関越荷会所跡 (昭和52年9月13日指定)
町指定史跡皇座山練尾狼煙場跡及び番小屋跡 付 遠見台跡 (平成26年12月25日指定)
町指定天然記念物祝島のアコウ (平成16年1月14日指定)
町指定天然記念物祝島のウラジロガシ (平成16年1月14日指定)
町指定天然記念物祝島のカンコノキ (平成16年1月14日指定)
町指定天然記念物祝島のケグワ (平成16年1月14日指定)
町指定天然記念物 祝島のバクチノキ (平成23年3月18日指定)
町指定天然記念物 祝島三浦のコッコー (平成24年1月17日指定)
町指定有形文化財(歴史資料)木造扁額「巨壑山」 [きょがくざん] (平成19年3月15日指定)
町指定有形文化財(歴史資料)菅原神社村上廣武奉納石灯籠  付 瀧長愷謹誌文陰刻板 (平成23年1月18日指定)
町指定有形文化財(歴史資料)朝鮮通信使船上関来航図 (平成26年12月25日指定)
町指定有形文化財(歴史資料)安村家文書 (平成28年4月4日指定)

お問い合わせ

教育委員会 教育文化課 生涯学習係(総合文化センター内)

電話 0820-62-1460  FAX 0820-62-5060

 

 

名称四階楼  付 幣串 
(平成17年12月27日指定)重要文化財(建築物)
説明汽船宿を営んだ小方謙九郎が店舗兼供応のため明治12年(1879)造営したものです。四階楼は梁間5.848メートル、桁行6.722メートル、寄棟造、桟瓦葺の木造四階建で、外部は、大壁造漆喰塗で、蛇腹を廻し、軒庇に垂れ壁を付け、隅にコーナーストーン型を漆喰でつくり、四階四隅の円柱に昇り龍、二階軒庇垂れ壁に牡丹など鏝絵を施す。内部の壁には菊水や唐獅子牡丹、四階天井中央にも鳳凰の鏝絵を施す。また四階四方の窓にはフランス製のステンドガラスが入っており、廻り階段を導入した平面構成、要所に奇想性に富んだ鏝絵を配した細部などに擬洋風建築の特色がよく示されている。その奇抜な和洋折衷様式のデザインから、文明開化の地方への普及がうかがえ、こうした擬洋風の木造高層建築が、現存しているのは四階楼のみである。
住所山口県熊毛郡上関町大字室津868-1
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)
JR柳井駅から約25分(約18キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町室津バス停下車(所要時間:約45分) ⇒徒歩5分
電話番号0820-62-6040
定休日毎週月曜日(祝日を除く)、月曜日の祝日の翌日、年末年始
料金無料
参考資料bunkazai_002 bunkazai_001
名称旧上関番所 
(平成12年3月31日指定)
説明『朝鮮信使上関記録』には「上関御番所」と記されています。上関は萩藩(毛利本家)の直轄地で、番所は1632年(寛永9)長島南西端の四代(しだい)に置かれましたが番所の老朽化と上関港の発展に伴い、1711年(正徳元)、朝鮮通信使のために建てた仮番所を公儀に願出、永久番所として四代から上関に移しました。 番所の規模は赤間関(現 下関)の番所に準じたもので二重の瓦屋根とし、番所には三田尻(現 防府)の御船手組から番人として6人が勤務しました。備えとしては槍10本、捻・差股・突棒各2本、弓10張、鉄砲10挺、大筒3挺(見え隠れするよう設置)、紫幕が用意されました。朝鮮通信使寄港の際には、萩藩弓・鉄砲組の者が番所に勤め、物頭の指示により、市中の見廻り(昼夜3度ずつ、臨時あり)、火の用心などを務めました。1996年(平成8)、現在地に復元移築。江戸初期の数少ない行政機関の遺構であることから2000年に県指定有形文化財に指定されました。
住所山口県熊毛郡上関町大字長島629、594
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
  JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町渡船場前バス停下車(所要時間:約50分)⇒徒歩5分
電話番号0820-62-1460(上関町総合文化センター内上関町教育委員会)
定休日普段は鍵が掛けられ中を見ることができません。
希望される方は事前に上記までご連絡ください。
料金無料
bunkazai_019
名称常満寺の大イチョウ
(昭和41年6月10日指定)
説明常満寺は、上関町室津港のすぐ近くにあり、本樹はお寺の本堂前にあり、根元の周囲約10メートル、目の高さの幹周り6メートル、高さ約30メートル。雌樹で幹は二つに分かれ、芽生えが多い。イチョウの原産地は中国、日本全土に広く植えられている落葉高木で、花は4月に咲く、雌雄が別株で、雄花は淡黄色で多数の雄しべがあり、雌花は緑色で二つの胚珠がある。1727年(享保12)寺堂が火災に遭い、1739年(元文4)この地に移転した。その際、伐採しようという話もあったがイチョウは火災の際水を噴いて火難から守ってくれるという言い伝えから保存することになったものだという。昔は、火難(家難)を免れるためにこの木を廻る風習があった
住所山口県熊毛郡上関町大字室津956
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)
 JR柳井駅から約25分(約18キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)⇒徒歩5分
電話番号
定休日
料金無料
bunkazai_022 常満寺の大イチョウ
名称祝島のケグワ
(昭和41年6月10日指定)
説明 ケグワはクワ科の落葉性高木。祝島は上関町長島の西南西の周防灘に浮かぶ島で、面積は7.69平方キロメートル、最高点は標高357.4メートル平地がほとんどなく急な斜面で海に接する。島の西部の北海岸近くの谷間にケグワが群生しており、県下で例を見ない。県指定の木は、根元の周囲3.9メートル、目の高さの幹周り3.15メートル、高さ35メートル、枝張り40メートル、地上2.5メートルのところで三つに枝分かれする。分かれた部分の枝の周囲は1.7メートル、1.1メートル、1.5メートルで県内では最大の巨木である。樹勢は中位で、多少虫害を受けている。1991年(平成3)台風19号によって枝の一部が折れ、原形を損ねているが、新しい枝も出てきている。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島2731
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
室津渡船場より定期船(一日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
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名称八島与崎のカシワ・ビャクシン群落 (平成15年4月4日指定)
説明八島は上関港より南約20キロメートルの海上にある孤島です。南北方向に砂州で結ばれた大島、小島、与崎からなります。最も北に位置する与崎は、小さな山が約1.1キロメートルにわたたって連なった細長い奇勝の地です。カシワは北海道から九州まで広く分布する低木から高木性の広葉樹で、火山灰からなる高原地帯とまれに火山岩からなる海岸に群落を形成しています。ビャクシンはヒノキ科の針葉樹で、本州の沿岸部、九州北西部などの海岸の岩上や岩礁に低木から亜高木の群落を形成します。カシワ、ビャクシンは県内では八島や平郡島などの海岸にそれぞれ単独で群落を形成しているものの、与崎ではカシワとビャクシンが混生し、しかも両種が優占するカシワ・ビャクシン群落となっています。このような群落は全国的にもまれであり、中国地方では与崎でしか確認されておらず、学術的な価値が非常に高いものです。
住所山口県熊毛郡上関町大字八島95、96、98、98-1
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(一日3便)にて八島港(所要時間:約30分)⇒徒歩1時間
電話番号
定休日
料金無料
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名称祝島の神舞神事
(昭和51年11月24日指定)
説明伝承によると今から千百十余年の昔、仁和二年八月、豊後伊美郷の人々が山城国石清水八幡宮より分霊を奉持して海路下向中、嵐に会い祝島三浦湾に漂着した。当時この地には三軒の民家があったが、産まれる子は体が弱く生活は苦しかったが、彼らは一行を心からもてなした。その時に教わった荒神を祭り、農耕(麦作)を始めたことにより、以後島民の生活は大きく向上。それからそのお礼にと、島民は毎年八月に伊美別宮社に「種戻し」に欠かさず参拝をした。そして5年毎に伊美別宮社から二十余名の神職、里楽師を迎え、本島を斎場として神恩感謝の合同祭事を行うようになった。これが神舞神事の起源である。神舞では三隻の神船を中心に櫂伝馬船等、百余隻に及ぶ大漁旗で飾った奉迎船が織りなす、勇壮な入船・出船の海上神事が行われ、古式豊かに三十三種類の神楽舞が新調の苫で小屋掛けされた仮神殿で奉納される。豊かに三十三種類の神楽舞が新調の苫で小屋掛けされた仮神殿で奉納される。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島の神舞神事 祝島の神舞神事
名称五卿の宿 肥後屋跡
(昭和49年12月26日指定)
説明文久3年(1863年)8月18日に起きた京都の政変で、京都を追われ長州に下り、途中、7人の公卿の内、三卿がこの肥後屋に宿泊した。翌元治元年(1864年)7月、五卿(三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆謌)は、長州軍とともに京都に攻め上がる途中、室津の肥後屋に投錨。萩藩主毛利敬親・元徳と会合した。肥後屋当主吉崎直祐は、五卿を丁重にもてなした。五卿は、広島の鞆の浦に入港したが、京都蛤御門の戦いで長州軍が敗戦したとの報を聞き、再び長州に引き返した。また、肥後屋は室津の本陣として、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允ら、多くの勤皇の志士たちの世話をした。
住所山口県熊毛郡上関町大字室津847
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)
JR柳井駅から約25分(約18キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)⇒徒歩3分
電話番号
定休日
料金無料
五卿の宿 肥後屋跡 五卿の宿 肥後屋跡
名称上関御茶屋跡
(昭和52年9月13日指定)
説明海上交通の発展にともなって萩藩が上関に設けた公館で藩主の参勤の上下・国内巡行、一門の旅行、九州諸大名の参勤上下、その他幕府の役人の通行などにあたり、宿泊に供するための、交通の要衝に置かれた一種の本陣です。 朝鮮通信使通行の際、正使・副使・従事官以下、上官以上の宿舎として使われ、接待のため、萩藩・岩国藩役人が出張して応接にあたりました。 現在、正門石垣が残されており、間口5メートルの階段部分は小型の石で埋められています。石垣の正面左側には往時の排水溝口が現存しています。 1870年(明治3)8月10日、建物は御座の間・玄関・長屋門など一部を残して解体、入札、民間に競売されました。現在は正門石垣、井戸跡、長屋門跡の石垣のみが往時の御茶屋をしのばせています。
住所山口県熊毛郡上関町大字長島629
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
  JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町渡船場前バス停下車(所要時間:約50分)⇒徒歩5分
電話番号
定休日
料金無料
上関御茶屋跡 上関御茶屋跡
名称上関越荷会所跡
(昭和52年9月13日指定)
説明『越荷会所』とは、撫育方の出先機関で、毛利藩直属の別途会計によって、撫育資金を貸付けて利潤を得る企業体である。北前船による海運業が発達するにつれて、東北・北陸から、主として米や海産物を日本海・瀬戸内海を通って大坂に運ばれ、見返りとして上方からの商品(衣料その他)が、東北に販路を拡げるようになり、瀬戸内の海上交通は、盛んになった。これに対応して藩では、上関の立地条件を活用して越荷会所を設け、海運商人や問屋商人などに越荷資金を貸付け、その利潤を困窮者救済や港湾の整備に廻して、上関・室津両港の発展を支えてきた。 当上関には、明和年間(1764~71)に御蔵会所が設置され、越荷資金の貸付けを行なったのが最初である。
住所山口県熊毛郡上関町大字長島671
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
  JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町渡船場前バス停下車(所要時間:約50分)⇒徒歩3分
電話番号
定休日
料金無料
上関越荷会所跡
名称皇座山練尾狼煙場跡及び番小屋跡 付 遠見台跡
(平成26年12月25日指定)
説明狼煙は、朝鮮通信使船団の現在位置での入船出船を即時に通達する重要な役割を担っていた。朝鮮通信使御馳走においても「狼煙一件第一」であり、番小屋には番人が寝泊まりして昼夜勤務した他、狼煙場入用の薪・千葉(せんば)・留炭を収めた。
皇座山遠見台は狼煙の確認及び陸上における火気等の厳重監視の重要な役割を担った。狼煙は下関から上関間を2時間余りで通すと語る研究者もおり、当時の連絡方法としては最も早く通達できる方法であり欠かすことのできない重要なものであった。その狼煙場跡及び遠見台跡が今なお、ほぼ完全な形で現存していることは、県内においても価値の高いものと思量できる。
狼煙場跡 石組約300センチメートル×250センチメートル 4か所
番小屋跡   約540センチメートル×300センチメートル 1か所
遠見台跡   約100センチメートル×200センチメートル 1か所
住所山口県熊毛郡上関町大字室津10108-9
山口県熊毛郡上関町大字室津10096
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町室津バス停下車⇒町営バス大津中ノ浦線・練尾バス停下車(所要時間:約90分) ⇒徒歩20分
参考資料tomidai_fromsouth OLYMPUS DIGITAL CAMERA
名称祝島のアコウ
(平成16年1月14日指定)
説明海上交通の発展にともなって萩藩が上関に設けた公館で藩主の参勤の上下・国内巡行、一門の旅行、九州諸大名の参勤上下、その他幕府の役人の通行などにあたり、宿泊に供するための、交通の要衝に置かれた一種の本陣です。 朝鮮通信使通行の際、正使・副使・従事官以下、上官以上の宿舎として使われ、接待のため、萩藩・岩国藩役人が出張して応接にあたりました。 現在、正門石垣が残されており、間口5メートルの階段部分は小型の石で埋められています。石垣の正面左側には往時の排水溝口が現存しています。 1870年(明治3)8月10日、建物は御座の間・玄関・長屋門など一部を残して解体、入札、民間に競売されました。現在は正門石垣、井戸跡、長屋門跡の石垣のみが往時の御茶屋をしのばせています。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島159
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(一日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島のアコウ 祝島のアコウ
名称祝島のウラジロガシ
(平成16年1月14日指定)
説明本種は、暖地性の常緑広葉樹で、本州に広く分布している。樹命は長く巨木も多い。
ウラジロガシの名は葉裏が白いことにもとづく、枝も白ないし灰白色である。
土壌は選ばず、耐陰性も大きい。病中害はほとんどなく再生力は大きい。
農道北野線の中程の道路下2~3メートルの所に一根で繋がった約2メートルの範囲内に、双幹と単幹二本が成育している。
目通り幹周(150メートルの高さ)幹4本で計約600センチメートル、高さ約17メートルある。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島1177-1
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島のウラジロガシ 祝島のウラジロガシ
名称祝島のカンコノキ
(平成16年1月14日指定)
説明本種は、自然海岸に希に成育しているが、最近は激減しているという。
日本での群生は大変まれである。所在地は、北野地区の水田の法面、延長30メートルの範囲に根元周り、
150センチメートルの株立が3幹と、目通り幹囲40センチメートル~70センチメートルのものが、10本成育している。高さ約8メートル
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島2353
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島のカンコノキ 祝島のカンコノキ
名称祝島のケグワ
(平成16年1月14日指定)
説明本種は、中国や朝鮮半島、西日本の山地の川沿いに成育している大陸系の植物とされているが、
祝島では、至る所に成育していて、三浦地区には特に多い。祝島には山口県の天然記念物に指定されている巨木があるが、当ケグワは、県指定のケグワほど巨木ではないが、樹勢がよい。目通り150センチメートルと160センチメートルの双幹で樹高約20メートル、根元回り約490センチメートル、目通り幹囲計約690センチメートルある。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島2727
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島のケグワ 祝島のケグワ
名称祝島のバクチノキ
(平成23年3月18日指定)
説明バラ科の常緑高木、別名、ビランジュ(毘蘭樹)。分布は関東以西の本州、四国、九州、沖縄の暖地。樹皮は灰白色。絶えず古い樹皮が長さ数10センチメートル4程度のうろこ状に剥がれ落ち、黄赤色の幹肌を顕す。名の由来は、これを博打に負けて衣を剥がされるのにたとえたもの。樹勢はよく、目通り幹囲は199センチメートルで樹高約18メートル、根元回りは約253センチメートル、水路の岩を割って入りこんだり、岩をつつんだりして根を張っている。枝張りは東 約7メートル、西 約5.5メートル、南 約5メートル、北 約6.8メートルでやや東、北に枝がはっているが大体均等である。枝のつき方は第1枝までが12メートル、それより上が6メートル周囲に立木が多く暗いため下枝が出ていない。
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島2655番地先水路
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島のバクチノキ 祝島のバクチノキ
名称祝島三浦のコッコー
(平成24年1月17日指定)
説明本種はマタタビ科に属し和名ナシカズラ(梨葛)といい、葉も果実も梨に似ていることからこの名がついた。また、コッコーという呼び名は近似のマタタビ・サルナシなどを獼猴桃(コッコートウ)または獼猴とよんでいたので、祝島のナシカズラも同様に呼んだと思われる。 幕末に萩藩の学者 山田亦助が獼猴藤と名づけたとも言われている。古来より祝島では果実を不老長寿の実として伝承され、広く周知されている。このコッコーは三浦湾より東、三浦川沿い200メートル中流の右岸から約100メートルのなだらかな山地に、ヘビのトグロのようにカズラが他の木に巻きついて生育している。カズラの長さは約50メートル、最大直径約10~16センチメートル、根回り周囲約50センチメートル、、雌株 樹齢不明
住所山口県熊毛郡上関町大字祝島2487番地
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)、JR柳井駅から約25分
(約18キロメートル)で室津へ、バス:JR柳井駅から上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)
⇒室津渡船場より定期船(1日3便)にて祝島港(所要時間:約40分)
又は柳井港より定期船(1日2便)にて祝島港(所要時間:1時間10分)
電話番号
定休日
料金無料
祝島三浦のコッコー 祝島三浦のコッコー
名称木造扁額「巨壑山」 [きょがくざん]
(平成19年3月15日指定)
説明表面の中央に「巨壑山」(文字は線刻)と刻まれ、左端に揮毫年・揮毫者を陰刻。 裏面には扁額製作過程にいたる説明文が刻まれ、作成の経緯を知ることができます。 それによると、1711年(正徳元)朝鮮通信使写字官 李寿長(字・仁叟 号・貞谷)によって、御茶屋にて書かれた明関寺(宗対馬守様宿舎)の山号を扁額に仕立てたものです。扁額として仕立てるにあたり、1712年(正徳2)3月吉日、岩国藩主御名代・岩国方上関御馳走役総責任者の香川舎人(家老)が命令し、明関寺住職高巌秀天和尚が裏面を認めたものです。このようにわずか半年の間に扁額に材質けやき、縦48センチメートル 横97センチメートル 厚さ2センチメートル、重量5.15キログラム
上関町郷土史学習館にて展示中
住所山口県熊毛郡上関町大字室津868-1
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約45分(約38キロメートル)
  JR柳井駅から約25分(約18キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町室津バス停下車(所要時間:約45分)⇒徒歩3分
電話番号0820-62-6040
定休日毎週月曜日(祝日を除く)、月曜日の祝日の翌日、年末年始
料金無料
木造扁額「巨壑山」 木造扁額「巨壑山」
名称菅原神社村上廣武奉納石灯籠  付 瀧長愷謹誌文陰刻板
(平成23年1月18日指定)
説明この石灯籠は花崗岩の台灯籠で竿部分の四面に「村上義顕(1458年没)が、上関城を築き、義顕の3番目の子・吉敏が後を継いで城を守り、さらに孫の武満が後を継いでこの城を守った」など上関城や菅原神社の由来、上関に朝鮮通信使が来航した事実を示す銘文が刻まれている。この石灯籠は上関城を築いた村上水軍の村上義顕の末裔であり、藩命で朝鮮通信使船団の水先案内役として、明和元年(1764)に上関を訪れた萩藩御舟手組頭・村上図書廣武が、菅原神社に奉納したものです。 陰刻板はけやき製で板の表裏に銘文が陰刻されている。これは小倉尚斎、山県周南、服部南郭に従学し、藩校明倫館の祭酒となった儒者であった瀧長愷が村上図書廣武の石灯籠奉納の為に、謹誌した自筆の文を板に彫り込んだもので、石灯籠の銘文はこの板の文字を写したものではないかと推測されている。
住所山口県熊毛郡上関町大字長島363
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
  JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町天神前バス停下車(所要時間:約52分)⇒徒歩1分
電話番号
定休日
料金無料
菅原神社村上廣武奉納石灯籠 菅原神社村上廣武奉納石灯籠
名称朝鮮通信使船上関来航図
(平成26年12月25日指定)
説明朝鮮通信使船が長州藩の御馳走船に警固・曳航され、上関に来航する様子を画く。進行方向から考えて、往路の寄港と思われる。長州藩御船手組頭の村上氏が先乗として、正使、副使、従事官の乗船及び卜船の6隻からなる通信使船及び宗対馬守御座船を先導している。また、港や陸上では長州藩の通信使迎接準備を見ることができる。
御馳走船に警固され航行する通信使船団の陣形、通信使を迎接する港の警固及び陸上の施設などを視覚的に表現した資料は数少なく、また、各船や陸上施設などの随所に注記がある事から記録がとして貴重。
超専寺所蔵 上関町教育委員会寄託
現在の所在地山口県熊毛郡上関町大字室津904番地15(上関町総合文化センター)
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町渡船場前バス停下車(所要時間:約50分) ⇒徒歩5分
料金無料
参考資料001chosentsushinshikaminosekiraikouzu
名称安村家文書
(平成28年4月4日指定)
説明この安村家文書は、萩藩の管轄下にあって重要な港町であった上関において、藩の上関番所や御茶屋などの役人を代々務めた安村家に継承された記録群である。
記録群の内容は、古くは萬治三年(1660年)萩藩二代藩主毛利綱廣が藩を統治する上で「元就以来の旧記」などを参酌して編纂した領内法写(萬治制法)をはじめ、寛文年間(1661年~)から廃藩置県が行われた明治四年(1871年)にかけての幅広い年代に及ぶ上関番所や上関御茶屋に関わる諸記録、上関宰判に関わる諸記録、四境戦争や風土記(風土注進案下書)など、上関の役所記録を中心として、当時の藩や上関村に関わる実態や活動状況を明らかする貴重な諸記録を含んでいる。
特に藩が藩内各所に設けた番所や御茶屋に関わる記録については、この上関に関わる記録以外には県内に現存の例がなく、県内では唯一残存する貴重な記録群である。
幕末期に上関番所、上関御茶屋の役人であった安村治太郎氏は、維新後には上関村戸長(こちょう)、初代村長として村の発展に貢献した。現在、毛利家家臣の末裔である安村家では、萩藩十三代藩主毛利敬親公の写真や古民具等を展示し、明治十三年に建築した武家屋敷を自宅として保存・活用されている。
住所山口県熊毛郡上関町大字長島588番地(安村家)
アクセス方法車:山陽自動車道・熊毛または玖珂ICから約50分(約40キロメートル)
JR柳井駅から約30分(約20キロメートル)
バス:JR柳井駅⇒上関町渡船場前バス停下車(所要時間:約50分) ⇒徒歩5分
電話番号携帯 090-1620-1249
見学安村家は、明治13年(1880年)築の武家屋敷であり、民具保存スペースが公開されている。訪問の際は事前にご連絡いただければ案内してくださる。
料金無料
参考資料

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